ご 挨 拶
赤坂新町五丁目町会
会長 山下晴隆
令和元年12月吉日
会員の皆様、平素は当町会の活動にご協力いただきありがとうございます。
また、このホームページにお越し頂きました皆様、ようこそおいで頂きました。
当町会地域は、東京港区、赤坂山王神社から乃木神社へ通じる「赤坂通り」のほぼ中間に位置し赤坂五丁目交番から赤坂小学校(旧檜町小学校)の間の、通りを境にした南北の、港区赤坂6丁目および
7丁目の一部に当たります。中高層ビルの建ち並ぶ商店街、事業所とその背後の戸建住宅地、マンション、アパートなどが混在する地域です。
歴史的には、徳川家康江戸入り後、赤坂の町ができ始め、元禄時代あたりに町会名である赤坂新町という拝領町屋街ができたと伝られています。町会地域は、その新町の馬場や周辺の旗本屋敷があった所のようです。町場は、周辺の大名屋敷や旗本屋敷に仕える武士たちを支える小規模商いや職人などの町人が暮らすところであった模様です。この町の構造は、その位置関係からか、江戸、幕末、明治、大正、昭和、戦後、高度成長期、バブル崩壊後の安定成長期、現代までとそれぞれの歴史の表舞台を側面から支える町として、その町割りも役割も、あまり変わることなく今日まで続いてきたように思われます。
現在の町会は、大正時代頃に起こり、戦後一時、GHQにより禁止されていたものが昭和27年に
解除され、任意住民組織として、新町五丁目会として再興され、先代まで、8代の歴代会長のもと約65年間、町を支えてきました。町会名は、何回か変遷があり、平成21年に現町会名になっております。
当町会は、住民相互の親睦をはかり、地域の安心・安全を守る活動を主眼にすえて、関連行政、消防、警察、近隣町会・商店会などと連携しながら地域貢献に努めてまいります。
また、赤坂氷川神社の氏子町会として、氷川祭礼行事を継承しながら、新しい時代の流れを受け入れつつ、歴史や伝統を大切にしています。
一方、昨今の少子高齢化の波で役員の高齢化や、マンション・アパートなどに住む新たな住民との交流の希薄化など課題は山積しております。当ホームページをたちあげることにしたのも、町会活動の記録を残し、将来の会員たちに資するためとともに皆様に町の情報をできるだけ知っていただき将来の町会と住民の発展に役立つものと願いを込めてのものです。できるだけ、多くの方に関心をもっていただけたら幸いに存じます。